皆さん、道頓堀に行ったらお馴染みのグリコの手を上げてゴールしているポーズの看板を見たことがありますか?
あの看板のポーズの名前って私も最近になって知りました。
そんな名前だったのか!と思う人が多いとは思いますが、ゴールデンインマークは現在は7代目になっています。
そんなに変化はないように見られますが、実は結構、変化があったんです。
先にその7代を載せます。
グリコ本社のホームページには
江崎グリコの創業者がキャラメルの「グリコ」を考えたときに、製品と同時に、「おいしさと健康」をあらわす「名前やマーク」についても考えました。ちょうどそうした時に、子供がかけっこをしてゴールインする姿を見て、「これだ!」とひらめいたのがゴールインマークです。マークが決まるまでにいろんな姿を研究しましたが、特定のモデルはなく、時代に合わせて変わってきています。
と書かれていますが、特定の選手はいません。

と思われたかもしれませんが、特定のモデルがいなかった!というだけでモデルになった人たちはいたんです。
それが、2代目のモデルになったと言われているのは、1月6日から始まった大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」(とうきょうおりんぴっくばなし)で主演を主人公の金栗四三選手、1921年の極東オリンピック(第5回極東選手権競技大会)で優勝したカタロン選手(フィリピン選手)、1924年のパリオリンピックに出場し、日本人として初めて100mで11秒の壁を超える10秒8の日本記録を樹立した三三五(たにささご)選手がモデルと言われています。
金栗選手については下記をご覧ください。
谷三三五選手の人物についてはWikipediaのなかで
伊里尋常高等小学校(現在の備前市立伊里小学校)を卒業、後に明治大学に進学し、大学卒業後は鉄道省に入省した。
1917年の第5回日本陸上競技選手権大会男子100mで真殿三三五名義で出場し、12秒0で初優勝。その後、日本選手権では第10回大会から第12回大会まで男子100m三連覇を果たしている。
1924年にはパリオリンピックの男子100mと200mに出場した。1925年には日本オリンピック大会(大阪毎日新聞社主催)にて、日本人として初めて100mで11秒の壁を超える10秒8の日本記録を樹立した。
現役を引退した後は指導者となり、人見絹枝(アムステルダムオリンピック陸上女子800m2位)、暁の超特急・吉岡隆徳を指導、後年には三重県陸上競技協会理事長などを務めた。
カタロン選手についてはいろいろな情報が合ってどれが正確かわからなかったため、書きません。
すみません。。
まとめ
なぜグリコのホームページでは特定のモデルはいません。ということなのかというと「特定個人のモデルはいない」と考えると良いでしょう。
金栗選手や谷選手、カタロン選手をモデルにしたというのは今度、グリコのゴールデンインマークを見るときは違った見方ができそうですね。
ちなみに当時のキャッチコピーは「一粒 三百米突」(1粒300メートル)というものです。
1粒のカロリーが300mを走るのと同様のカロリーと考えられていたようです。
グリコのマーク見てたらグリコが食べたくなってきました。
マラソンの前にグリコを何粒たべればいいのだろうと考えながら、グリコを大量注文します。
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